アーツ・プラン株式会社 Arts Plan Co.,Ltd.
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奈良正倉院には、遣唐使が帰朝の際持ち帰ったり、又大仏開眼(752年)の盛大な法要のおりに、東西、南北のアジアからやってきた多くの楽人達が持参したと思われる沢山の楽器、伎楽面がのこされています。
その多くは1300年余の時空を超えて今なお輝きを放ち、中でも完全な形で現存する五絃琵琶は世界唯一のものといわれています。それらの楽器が、どんな音を発するのか、いかなるアンサンブルを奏でていたのかなど、現代の我々にとって、興味の尽きないところですが、この半世紀の間、数人の学者がこの究明にあたり、研究、調査の結果ある程度の解明がなされました。
その楽器類には、箜篌(くご、現代のハープにつながる竪琴)、五絃琵琶、四絃琵琶、阮咸、尺八、箏、方響、笙、拜簫、瓷鼓等がありますが、作曲家で笛の名手劉宏軍は、正倉院の資料をもとにして、日、中、韓、の文献や多くの学者、音楽家からの助言を受けて、この復元に取り組みました。この成果は、中国の工芸職人とのおよそ10数年に渉る共同作業の賜です。現在も少しづつではありますが、この復元作業は続けて行なわれています。劉宏軍は、主に日、中、韓の第一線で活躍する演奏家に呼び掛けて、この復元楽器を使用する演奏団体「天平楽府(てんぴょうがふ)」を創設、楽器の単なる工作的復元にとどめずに、当時の音楽の再生を旨とする高質な音響工学的、音楽芸術的、また美術工芸的復元を試み、それらの復元楽器を使って多くの演奏会を催して、好評を得てきました。
いまを去る千数百年の昔、シルクロードに沿って栄えた敦煌の莫高窟で発見され、現代の五線譜に譜訳された<敦煌琵琶譜>や近衛家に伝世する重要文化財(旧国宝)<五絃琵琶譜>の今の我々の感性に通じ、鑑賞に耐えうる歌謡性とリズムの意外な同時代性は、我々に驚きと喜びを与えてくれます。また、劉宏軍は、各楽器の音色などの特性を活かした名曲を数多く作曲、「天平楽府」を通じて発表し、東洋、アジアの心に根ざした音楽活動を展開しています。
現在までの主なコンサートは、
2010年5月中国・上海万博日本館内ホール出演
東京公演(東京文化会館大ホール)
箜篌は、桐の木を彎曲にくり抜いて音が共鳴する胴の部分と、棒状に削り出した腕の部分が L字型に組み合わされ、そこに23本の弦が張られています。古代アッシリアを起源として、当時の貴族たちが楽しむ楽器として用いられ、その風景が古代遺跡の浮彫彫刻(レリーフ)に見ることがでます。唐代の歴史家杜祐は「通典」に…竪箜篌は胡楽である。漢霊帝はこれを好む…と記しています。また唐の宮廷や寺院の書画、また洞窟の壁画に箜篌が描かれ、往時の様子を窺い知ることができます。正倉院所蔵の箜篌(完全な形ではなく,残欠の状態)は、漢の時代、西域、中国、朝鮮半島を経て日本に伝来しましたが、日本ではその隆盛をみないまま、廃れました。
現代の西洋のハープは、この箜篌から発展形成されたもので、この箜篌と同族の楽器群は、異なった国、民族、風土に溶け込みそれぞれ独自の発展を遂げました。
この復元された古代箜篌は、優雅な音色を奏で、はるか千年以上も前の往時の音色が偲ばれます。
五絃琵琶は古代インドに起こり、中央アジアから北魏に入り、日本に伝わったと考えられ、ペルシャを起源とする四絃琵琶とは、その発祥を異にしています。正倉院所蔵の五絃琵琶は完全な形で現存する世界唯一のものです。四絃琵琶と比較して頭部が屈曲しないで真っ直ぐに伸び,胴の幅が狭く、厚みがあるのが特徴で、表面の撥(ばち)が当たる部分には、鼈甲(べっこう)が使われ、螺鈿細工で西域の人物が駱駝に乗り、面白いことに四絃琵琶を奏でている図に熱帯樹と飛鳥を配しています。
背面の槽(そう)は、紫檀で作られ螺鈿細工で上下二つの大宝相華文と二羽の含綬鳥を配したまことに華麗な琵琶です。
この楽器は、遥かペルシャ地方で発生し、古代シルクロードを経て、漢の時代に中国に伝えられたといわれています。唐代に入ると琵琶は宮廷音楽や、寺院の供養音楽ばかりではなく、市井の芸能音楽にまで広く浸透して器楽演奏の主流をなしてきました。正倉院所蔵の木畫紫檀琵琶は、丁度このころの作と思われ、保存状態も良く復元する上にも様々な情報を得ることができます。この琵琶は工芸的にも素晴らしく、象牙をふんだんに用いるとともに,木畫の技法を使い,背面の槽(そう)の中央に蓮の花が描かれ、その周囲を花鳥文様が左右に対称にほどこされています。前面の捍撥(かんぱち=ばちの当たるところ)には、表面の保護のため、朱色に塗られた革が張ってあり、それには駱駝に跨り山野に虎を追う狩人や、四絃琵琶を抱えた人たちが車座になり、宴を楽しんでいる風景なども画かれています。
唐から伝わったこの琵琶は、その形状を変化させることなく、現在に至っています。
遣唐使の吉備真備(きびのまきび)が唐から帰国の際持ち帰ったとされる、大工道具の鉋(かんな)の刃のような鉄板9枚が正倉院に残っています。これが楽器の一部とは到底思えませんが、実はこれは唐代に作られた方響という楽器の一部でした。中国でも宮廷音楽のみに使用され、小さな鉄板16枚を上下二段に並べ架け、鹿の角などでできた撥(ばち)を使う打楽器で、主にリズム楽器として使用されたと推測されます。不思議なことに日本の伝統雅楽を構成する楽器としては、用いられず今日に至っています。キラキラと輝く、透明な音色を持っています。
先年、古代シルクロードの要衝チェルチェン(且末)という地で 古代の竪琴である箜篌(くご)がおよそ2700年も前の姿で発見されました。
NHKからの依頼を受け劉宏軍はこの復元に取り組み苦心の末の見事な調弦法を得て、音楽を奏することが可能な純正な復元箜篌として完成させ、演奏会のプログラムにこの箜篌の為の曲を組み入れています。やさしく、素朴な音色が古代人と私たちとの 遠い時間の隔たりを縮めてくれます。
この楽器も演奏会で使用しています。
今を去る千数百年前、シルクロードの要衝として栄えた都市、敦煌(とんこう)の莫高窟(ばこうくつ)から発見された楽譜です。参照写真のとおり、縦書きの琵琶のための楽譜で、独特の表記方を取っています。曲名の「伊州(いしゅう)」、「水鼓子(すいぐず)」などは漢字で我々にも読み取れます。
これらの貴重な楽譜はイギリス、ロシア、フランスなどに渡ってしまい、中国には一点も残っていません。これまで、多くの学者がこの楽譜の解読にあたり、その貴重な成果を参考にさせてもらい劉宏軍も自己の解釈を加えて現代の五線譜に訳譜、合奏曲として古代から使われていたと思われる琵琶を含む多くの楽器のために複曲することができました。遥か昔、シルクロードのあちこちで演奏されていたであろう音楽がここに蘇ることとなりました。
京都にある近衛家の陽明文庫に所蔵されている重要文化財(旧国宝)で、楽器の五絃琵琶による演奏のために書かれた楽譜です。参照写真のとおり巻物に書かれ、漢字の曲名の「六胡州」、「如意娘」、「天長久」などか読み取れます。この巻物(五絃琵琶譜集)には28曲が収められています。しかしながら、当時の楽器による合奏のためのいわゆる総譜(スコア)は見つかっていません。劉宏軍の見解によれば、他の楽器は五絃琵琶の演奏を聴きながらアドリブ的演奏をしたのではないかとも考えられるとのことですが、劉宏軍は、この五絃琵琶譜を研究、調査し、作曲家、演奏家としての豊富な経験の立場からこれらを現代の五線譜に合奏曲として訳譜しここに五絃琵琶譜から多くの楽曲が蘇ることとなりました。
これは単に楽器の五絃琵琶の演奏のみをフィーチャーしたものではなく、正倉院に残された多くの復元楽器のために合奏曲として、複曲されました。これらの演奏、訳譜が当時の演奏そのままであるとの傍証は、史書の記録などから推測するしかありませんが、五絃琵琶譜 の行間から,往時の演奏スタイル、メロディー、リズムを読み取り、浮かび上がらせることにより、おそらく当時もこのような演奏であったろうと推測されます。